日奉精神とは何かー4 前のページ  作製中  

 日奉精神は、モンスーン地帯の水の循環エネルギーである森林の富を用いて、集落の開発[宇宙の空性の顕現]を行う人々の精神の伏流水です。このため、政治権力の支配に対抗する力が弱く、西欧文明が支配的となった明治維新以後、欧米の論理性を背景とした関西勢力の関東の富の収奪によって、日奉精神の全容は消え去ってしまいました。最後に残った当家も公共事業への寄付や公共事業で潰れた一族を救済する事業等によって、財政的に疲弊してしまいました。そのような中で、父は1920年代から国民健康保険制度を農村へ導入し、幾度か失敗し難しい局面に立たされていました。1935年頃には日本の健康保険制度の実情は、月々の収入のある会社の職員は別にして、農村での実施は遅々として進んでいませんでした。例えば、日奉族が分散していた那須族の支配地の栃木県湯津上村でも1939年頃に制度の導入を試みていましたが、成功したとは聞いていません。1941年に真珠湾攻撃があって、海軍省から父に対して干潟飛行場[香取海軍航空基地]の拡充工事への協力要請がありました。明治維新以後の公共事業への協力要請が激しく、総武線建設等の後始末が終わったばかりで、基地建設に関わると家が崩壊することは一目瞭然でした。東総地区の宇宙の空性を維持するためには、健康保険制度を確立しなければならりませんでしたので、基地建設に協力することになりました。

戦時下を耐えた健康組合

宇宙の空性に基づく日奉精神からすれば、一億一心で戦争に向かう馬鹿げた社会の中で、父親は国民の健康を希求する行為[生命の維持]が唯一の利他行[宇宙の空性が人間に現れたもの]であると考えていたようです。父は多忙と差し迫った敗戦で、日奉精神の本質を掘り下げることを出来ずに人生を終えようとしていました。この仕事の過程で、国防婦人会の協力を得て、若い水兵や兵士に炊き出しを行っていました。軍からの返礼の意味があったのでしょう、その度ごとに整列した部隊の前で父の講演があり、私は階級章を付けて居並ぶ高官の末席でその話を聞かされました。幼子で講演の内容は覚えていませんが、国体明徴の時代ですから、「昔、神武天皇は…の神武東征」か「昔、桓武天皇は…の平安京造営」かの決まったパターンで始まり、後は得意な「もののあわれを知る」論を長々と話していました。整列した兵士の短い命に必死に語り掛けていたのは「もののあわれを知る」論の部分ですが、大人達の評論は国体明徴に関わった出だしの部分に集中していました。幼児の私はそれらを超越して、兵士達のはるか上空を流れる雲や講演の声が途切れた静寂を縫って聞こえて来たトウトウトウトウという筧の音に、一生をかけて希求しなければならない何かがあることを強く意識していました。釈迦の空性を知るずっとずっと昔のことです。日本が廃土になっても追及しなければならない日奉精神の真諦が、この講演会場を包摂している時空間に流れていると確信しました。

 講演が終わると軍の幹部の方々に挨拶して、食事会の始まる前に2人で逃げ出し、丘に登って散策しながら、日奉精神の真髄を得意の「もののあわれを知る」論を使って、私の頭の上から話しかけていました。今にして思えば、父の日奉精神の理解は、自己が成長して来た明治以後の西洋カブレの社会の影響を受けて十分なものではありませんでしたが、日奉精神が国土総決戦を騒ぐ国家の狂騒に飲み込まれてしまうのを避けるために、自ずと必死な話になっていました。幼児の記憶ですから正確ではありませんが、繰り返し繰り返し話されたので、今でも概略は思い出すことが出来ます。例えば、夏目漱石の『坊ちゃん』の下女キヨの話を使って、ベルクソンの「純粋持続」を説明していました。キヨの言葉や手紙は、それぞれの瞬間に一つの「今」を創発し、その「今」に過去[キヨのこころ]と未来[キヨへの夢]が浸透して、坊ちゃんが生きる意味を深めていると言います。あらゆる人にとって、このような「今」の無数の繰り返しが人生というものであるとも言います。タゴール・天台智・島宇宙説等について「ものあわれを知る」に絡めて説いていました。このように、人間のこころは絶えず「今」を捉え創発していますので、人間が虚構した文明の拘束を随時に敬遠することによって、人間の心と入れ子構造にある時空間の創発性との共鳴が起り、生きるということが拡充出来るのだと言います。この人間と人間・人間と自然の共鳴を出来る限り多く創出するのが、縄文の社会であり、日本列島で鄙と呼ばれた地域の社会であり、健康保険制度を推進する理由でもありました。

 このように鄙ということを生甲斐としていた社会では、時間の創発力管理が最重要なテーマとなっていす。良く例証された話ですが、使用人の女中さんが結婚するという話を聞いた主人が、その父親を呼んでお祝い金を渡すのでは、折角の時の創発性が逃げてしまいます。そこで、その父親に関係の深い人達を探し出して、臨時の収入が増えるような仕事を作ってもらい結婚式をサポートしますが、そのことを本人には知らせません。気付く気付かないにかかわらず本人は時の創発力に包まれ、関わった人達の間にも時の優しさが流れ続けるのです。このような日々の出来事を何百年と根気よく重ねて来たのが、縄文精神に発する鄙の社会です。そこには取って付けたような「絆」の乱用もなく、テロという浮いた言葉もありません。